条件付けなく存在するということ*
条件付けなく存在するということ
これは、ヨガやアーユルヴェーダを通して「生きる」ということを学んでいく中で、
教えてもらってきたことです。
わたしたちは、生まれたときから、
親の子供であるわたし、○○学校に行っているわたし、○○で働いていて、△△な役職なわたし
など、様々な肩書きを持っています。
それが時には、自分と周りとの優劣の比較に使われたり、自ら使ったり、
何かしていないと、何かがないと「良し」とされないような、そんな気持ちになったりします。
そんなことに右往左往されたりしつつも、
ヨガというツールを使って、いろんなことを体験したり、自分の内側にある感覚というものを見ていくということをしていくと、
言葉にもならないようなゆったりと満ち足りた感覚や、ほっこり幸せな感覚や、静けさや、
頭を使ってどんな感覚かを言葉にしなくてもいいような、何も頭で考えていない時間に
出会うことがあります。
ヨガニードラで起きてきたときの感じも、そんな感じでしょうか。
そのときって、肩書きや、何かを成し遂げた!みたいなことや、周りからの評価とか、どうでもよくなっていませんか?
わたしはどうでもよくなっています。笑
やらないといけないなぁと思っていたことも、いったんどっかに行ってしまっています。
(そして、案外やらないといけないと思っていたのは、やらなくもいいことだった!ということに気付いたり)
わたしたちは、条件つけなく自分の内側の知性や幸せの中に存在してもいいらしいのですよ○
そこにいること、そこにいてくれることだけで、ほんとうにいいのです*
日常の中で、どうしてもやらないといけないことや、周りの人たちとの関係性の中で生きていると、それを忘れて、自分は価値がない人間だ思ったり、罪悪感を背負い込みすぎたりしてしまいます。
「条件つけなしにそこに存在する」時間や体験があること。
その体験は、自分を真ん中に戻してくれて、落ち着けてくれて、本当に必要なことをするチカラを戻してくれるように思います。
子育てや、家族の看病や介護、自分自身の大変なことを持っているときほど、
こういう時間がありがたいし、大切だし、
そんな時間をどうにか持ってほしいなぁと思います。
特に周りからの謎のプレッシャーや罪悪感を背負わされそうになったら、
ひとりの時間を持つこと、
何も良い悪いをジャッジしない、されない所で、心と体を整える時間を持つこと
は持ってくださいね。わたし自身の体験からそう思っています。
わたしの体験ですが、(わたしの話を聞いてくれ!というのではないですが、あえて書くことで同じような思いをしている人や、こんな風に思ってもいいんだと自分を許せたらいいなと思い)
母の介護のことで、わたしと父とでは回らないし、できないことは専門の方にお任せしようということにしているのですが、
家族(一人娘なので、両親だけですが)以外の親戚や、お付き合いのある知り合い、中には友達や専門職の方から、
家族以外の人に頼むのは、自分だったらできないかも、
大変な思いをしてはじめて専門の人に任せてもいいんじゃないか、
のようなプレッシャーある言葉をもらったり、
どうして仕事をやめないの?実家に戻らないの?と、言われたり
うまく言えないですが、わたしが楽しく幸せにしててはいけなくて、
ボロッボロになるまで身を捧げないとダメだよと、受け取ってしまうような言葉や考え方をたくさん頂きました。
今まで、ヨガやアーユルヴェーダを通して体や心を整える方法について知っていなかったら、そのもらった言葉どおりに、もっと自分のことを追い込んでいただろうし、
あれほど勉強したにも関わらず、十分追い込んで、暗い気持ちで暗い顔で、
「家族のことをサポートしきれていない私はダメな人間だ。もう笑ったり、人に会ったりしちゃいけない」くらいに思っている時期もありました。
ちょうど、先代の愛犬だんごを亡くした時期とも重なっていて、悲しいさみしい暗いモード全開になっていたのもあって、余計に自分の追い込み方が尋常じゃなかったと思います。
ときには怒りモードにスイッチが入って、
「なんでそんなこと言われなあかんねんっ!」と思って、言ってきた人と距離を置いたり。
怒りモードに入ると、寝つきの悪いこと!笑
そんな時期に、
自分でヨガの練習をしたり、
ヨガの勉強に行けたり、
何もジャッジしない友達に会えたり、なんてことない話をできたり、
そんな時間が、
「いやいやいやいや、そうじゃないって!わたしはどんな状況にあっても、なくなることのない静けさやほっこりした気持ちや、幸せはあるんやって!落ち着いて、わたし!」
と、思えることができているのです。
なにをしていても、していなくても、条件なく存在していいし、そこにいてね。
の存在なんだよなぁと、思い出させてくれるのです。
何が言いたいかというと、
さまざまな環境や状況や、役割の方はいるけれど、
わたしは誰のこともジャッジせず、
みんな条件なくすばらしい存在なんだよという気持ちでいようと思っているということと、
その人が選択したことは、特にその人にとって優しくて調和的な選択だったら、「うんうん。いいね」と
全肯定していきたいと思うのです。
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