自分のデフォルトみたいなもの
家では、消化にやさしそうな大根と鶏の鍋のようなのばかり食べている冬ですが、
そうやって養生しておいて、ここぞというときに消化力をいかんなく発揮するように
おいしいものを食べたい派です☆
おいしいものを食べる、それもきっとおいしいものが好きであろうと思われる人が作ったものを、
おいしいもの好きの人と食べるということは、わたしの幸せのパワーアップをしているようなものなのです。
タイトルに書いている「自分のデフォルト」とは、
自分のこころの中心をどこにおいているかみたいな話です。
「わたしには大変なことばかり起こる」
「わたしにはいいことなんてない」
のように、
自分の初期値を「大変」「大変な思いをしなくては幸せになってはいけない」「幸せではない」
に置いてしまっている(しまっていた)なぁと最近ふと思って、
「いやいやいやいや」と自分にツッこんだのです。
それは、過去の体験や、人から言われた言葉、身を置いていた環境でそんな刷り込みをしてしまっていたのだと思います。
そんな小さな積み重ねと、それをどーんと心の深いところに杭を打ち込むような出来事などで、何かいいことや、ふとしたときの満たされた気持ちや充足感を打ち消してしまうようなことを自分にしていたように思います。
まだ完全にそれが取りきれたわけではないけれど、心の奥のほうの悲しさやさみしさはまだまだあるけれど、
例えば
おいしいものを食べてまんぷくになったとき、
心をゆるむ人たちと一緒に過ごしたとき、
ヨガをして心が静かに落ち着いてきたとき、
ひとつひとつの充足感や、あたたかな気持ちを見つけられたら、
それを自分のデフォルト、真ん中にしてみようと思います。
少しずつ少しずつ。
わたしたちは、何の条件がなくても、幸せだと感じてよいし、幸せの方向に心も体も向けていってよいのですよね☆
そして、わたしは、わたしが好きな人たちのことは、何の条件もなく、その人がどんな時でも好きなのです☆
人が生きていくのに、愛されるのに、ほんとは条件なんていらないのでしょうね☆
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