ひとつが全体に、全体がひとつに
まいにち生きていると、
うれしいこともあるし、楽しいこともあるし、
腹の立つこともあるし、なんともいえないもだもだした気分になることもある。
体も痛いところもあれば、花粉のおかげでカサカサしてくる鼻もある。
特に、あまり好ましくない感情や、心地よくないことがあると、
それが自分というもののすべてのような気持ちになる。
わたし全部が、痛い、辛い、カサカサで作られているような気分になる。
逆にうれしいことや楽しいことは、なぜか「こんないいことばかり起こってよいはずはない!」
なんてことを思ったり、
大変だなと思っていたことや、悩みがどこかに飛んでいってしまうことだってある。
いろいろな感情のひとつひとつが、わたし全体にひろがっていくし、
実はひとつひとつ綺麗な境目があるわけではなくて、別々のようで「わたし」という全体を作っている。
ひとつひとつに焦点をあててギュッと見てると、
大変なことばかりが盛り上がってくるけど、
全体を見てみると、
ちょっとした時の笑ったことや、楽しいこと、呼吸の気持ちよさ、体がのびのびする気持ちよさ、自分じゃわからないけどその人の持つ魅力みたいなもの、
すでにあるものがいっぱいある。
そのときどきの、感情や感覚に右往左往しながらも、
全体をみたり、自分が選んでいくことを応援するような信頼することを
思い出す時間というのが助けになるなぁと思うのです。
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