過去のこと、今を生きること、未来につなげること

わたし自身もそうですが、人は今この瞬間に現在に生きていても、

今の現状や状態、起きている出来事を通して、

昔のことを思い出して、

「あのときこんなことをしていたけど、もうできないんだなぁ」とさみしくなったり、

「こんなことしてもらったのに、ありがとうってちゃんと受け取ることができなかった」と後悔したり、

「あのときは助けてもらったのに、何もお返しできていない」と申し訳なく思ったり、

「あれ楽しかったなぁ」とにんまりしたり

しています。


未来のことも、今までの経験や、テレビやネット、本など色々な情報、想像をフル活用して、

わくわくしたり、不安になったりしています。


そんなわたしが今日思うことは、今はもう戻れない過去のことを、

さみしくなったり、後悔したり、申し訳なく思ったり、にんまりしていいんじゃないかなと思います。


「こんなことできていたのに」は、

ちゃんとでも、ちゃんとしてなくても、そのときの体験を、わくわくしたり、楽しんだり、

ときには怒ったり、しながら、その瞬間を生きていたということです。


「ありがとうって受け取ることができなかった」という後悔は、

そのとき「ありがとう」できなかった自分は受け取り下手で、それが少しずつ時間を重ねて、体験を重ねて、

受け取っていいんだということを知っていけるきっかけとなったかもしれません。

そうだとしたら、そのときの「できなかった」は、これからのわたしにすばらしい種を蒔いてくれたのでしょう。


わたしも褒められたり、何かをしてもらうのが超苦手で、

「そんな価値はわたしにはない、申し訳ない、まだまだそんな域には達していない」と

体も心もこわばらせて、ふたをして、してもらってたことや愛を、はねつけてきたように思います。

受け取れなかった過去があって、少しずつ「ありがとう」と受け取れるようになってきたわたしがいて、

その今のわたしがあるから、過去のわたしにも、何かをしてくれた相手の方にも、

現在から過去に向かって、愛を送れるんじゃないかなと思っているところです。


「あのとき助けてもらったのに、○○してもらったのに」と、今の不義理な自分に罪悪感などを持っているときは、

そのとき助けてもらったり、何かをしてもらったことを、そのとき、その瞬間、それを受け取っているのです。

そのとき受け取ったというで、与える側、受け取る側でちゃんと交換できていたんじゃないかなと思うのです。

「助けを受け取ったよ、してもらったことを受け取ったよ」ということが、十分なお返しになっているように思うのです。


もしその方に、何かをお返ししないとと思っているけど、できないのであれば、

別の誰かを助けたり、誰かに何かをしていくことで、giveとtakeのすてきな循環ができていくように思います。


結局何が言いたいかと言うと(笑)

今を通して、過去をみたり、未来を見たりしています。(たぶん)

過去にできなかったこと、してもらったこと、それに現在からは何も修正はできないけれど、それでいい。


できなかった、してもらった、という時間を、その瞬間を、わたしは体験し、味わった。

「その時間を瞬間を生きたね」ということが、そのときのことを後悔し、さみしくなり、うれしくなるわたしを癒してくれるチカラになり、未来のわたしにつながるすばらしい種をまいてくれてるように思います。


わたしの個人的な思いだけど。

岸和田のプライベートヨガ教室(プライベートと少人数ヨガクラス)○『くらすよが』ヨガ、ヨガニードラ、瞑想、アーユルヴェーダ、ロミロミ+まいにちのくらし

『くらすよが』岸和田プライベートヨガと和歌山少人数ヨガ+瞑想+アーユルヴェーダ+ロミロミ* プライベートヨガと少人数制ヨガとヨガニードラ、瞑想教室を岸和田、和歌山、大阪市内でしています。 ヨガとヨガニードラと瞑想アーユルヴェーダ、ロミロミと、まいにちのくらしをつなげていきます。

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