目に見えるもの、見えないもの
わたしが繰り返し読んでいる本の一説です。
「この世界、この宇宙は、愛からはじまり、愛でできている。
わたしたち人間ももれなくその愛の粒からできていて、どんなに自分自身が荒れようが
狂おうが、わたしたちの中には愛が内在している。
なんぴとにも漏れることなく。
愛とは自然ともいえる。
~続く~」
こういう、ふんわりとしていて目に見えないもの、
受け取り方によっては怪しいともなってしまうものが
言語化されたり、話されたりするようになってきたように感じています。
目に見えないけれど、なんとなく感じているもの、知っているもの。
ふだんの生活でも、
お天気がくずれて気圧が下がってきたら頭が痛くなったり、
気持ちいいあたたかい晴れの日だと、気持ちが明るくなったり、
美味しいものを食べたり、お風呂に入ったり、
お犬さまのお尻をモフモフしたときに、
ふわっと幸せだと思われる感覚が浮かび上がってきたり。
わたしたちは目に見えないけど、そこにあるもの、むしろ普通にそこにあるものを
知っているのだと思います。
この本の一節のように、
自分自身の本質が愛である、自然である、というところに立ち返り、
そこから自分自身を、まわりを見てみたら、
自分のことを卑下したり、
何かができないと価値がないと思ったり、
罪悪感や不安から行動したり、
他の人のことを気にしてばかりいたりする、
というわたしがもっとも得意をするようなことをせずにいられるのだろうなぁと思います。
そういうことに気づいたり、全くそれを信じられずに、「わたしダメ期」に入ってる
ぽんこつ具合も、なかなか色々な感情を体験するのによいではないか☆
と思えたりします。
そんなときは、「わたし、おつかれさま!」と一声かけて早く寝ることにしましょう、そうしましょう。
そんなことを気づいたり、内観するのに、わたしはヨガをしたり、本を読んだり、
ぼーっとしたり(瞑想ともいう)するのが好きなのです。
写真の本は、服部みれいさん著の「わたしと霊性」です。
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