ゆるやかなひきこもりから見える景色*
2週間ほどまえに、久しぶりに胃から体調を崩したのをきっかけに数日寝込むということになり、
そして先週地震があり(結構揺れたけど平穏に過ごせています)、
そのままなんとなく気持ちがふさいだまま、ゆるやかな養生生活という名の引き篭もり生活をしています。
と、書いてみて、明るい要素が何ひとつない書き出し!笑
ツイッターでは、養生生活中の変化をつらつらと書いたりしていたのですが、
あとから思い出してみると、体調を崩す前には、あんなことこんなことやりすぎていたなぁと思うことがありました。食事のこと、日々の行動のこと、考えすぎていること。
やりすぎていることがあると、何かしら止めてくれるということが起きたりします。
寝込むことであったり、何か思ったようにいかなかったり。
「これ止めてもらって、整えなおしたほうがいいよという機会をもらったんだな」
と気づいて、食生活や生活習慣のことを整えなおすかどうか、そのまま走りつづけるかは
それぞれの選択だと思います。
数日寝込んだときに、
目を使いすぎてたなぁ、
消化力にあわないくらい食べてたなぁ、
活動しすぎてたなぁ
と確認できたこと、
少しずつ回復してくる様子を観察することで、
「わたしにもまだまだ回復力があるっ!」と思えたこと。
この期間、行きたいところにいけず、会いたい人に会えないこともあったけど、
これはこれでよかったのかもしれません。
(その渦中にいるときは、そんなこと思えないけどね。)
ゆっくり生活にしているおかげか、そのせいかはわからないけど、
何もやりたくないなぁという気分に従って、ひたすらゴロゴロしたり、
ゴロゴロしたり、ゴロゴロしたり。。。
何もやりたくないし、人に会って話すのもパワーいるなぁと思うときもまだまだあるけれど、
何もやりたくないをやりつくしたら、
ほんとうにやりたいことだけが残っていってる気がしています。
わたしが外の世界に出て行かなくても、世界はちゃんと回っている。
誰かに会わないで過ごすことだってできる。
そんな中でわたしは何をしたいと思っていて、どう生きたいと思っていて、
誰に会いたいと思っていて、どんな言葉を話したいと思っているのか。
この世界で何を感じながら生きていきたいのか。
ゆるやかな引き篭もり生活は、そんなことを確認していくような時間なのかもしれません。
そう思えるのは、「この状態がずっと続くわけではない」と知っているから。
その今の感情を味わっていくことが、次の瞬間のわたしにちゃんとつながっていくから大丈夫!
という体験を何回もしているからかもしれません。
今この瞬間の時点は、わたしがやりたいと思うことを手帳に書くとしたら、
体や心が自然に調和するものを通して、おだやかに、わたしはわたしのままで生きていく。
ヨガやアーユルヴェーダのことを、わたしの言葉でわたしのままでシェアしていく。
いろんなものを取っ払っていったら、こういう言葉が残った6月の日。
こういうときの気持ちは今しか書けないし、今でしか見えない景色があるので、
書き留めておこうと思って言葉にしてみました。
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