秋とわたしのアーユルヴェーダ
【秋とわたしのアーユルヴェーダ①】
いろいろな視点はあるけれど、わたしが好んで観測しているアーユルヴェーダという視点で秋のことをちょこちょこと書こうと思います。(たぶん)
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ちょうどいい季節を光の速さで通り過ぎていく気かい?と秋に聞きたくなるような最近の気温の変化です。
秋から冬にかけて、アーユルヴェーダでは、 『風』と空間を意味する『空』のヴァータ(VATA)という性質がわたしたちの中で むくむくと増えてくる季節と言われています。
秋のもつ性質、空気感、味わい、お出汁といったん思ってみてください。
最近のように寒暖差が大きかったり、
風が気持ちいい日もありつつ、 ひんやりとしはじめ、
葉っぱが緑から黄色、茶色に色づいて乾いた葉っぱになってきて、
それが風に吹かれてあちこちに舞い散っていきます。
「乾燥」、「冷たい、冷える」、風に吹かれて「不規則」がヴァータのもつ性質の特徴です。
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そんな秋の中で生きるわたしたちは、 秋というお出汁に浸かっているので、 体もこころも秋味になってきます。
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今日はこころのヴァータ風味のことを書きます。
(え!今から本題かい!?とわたしも思ったから!)
こころに現れるヴァータ風味の中に 「不安感」とか「そわそわする感じ」があります。
わたしにはこれがなかなか手当てをするのに手間がかかるやつです。
わたしのあくまで個人の感想ですが、 この不安感には種類があるように感じていて
●こころにぽっかり穴があくと表現もされる 「さみしさ」「無力・虚無感」
別れや、今まであった時間がぽっかりなくなったときなどのさみしいなぁ、
「わたしには何もないなぁ、何もやってないなぁ」と思ってなんだかしょんぼりしてくるような感覚
●おなかの真ん中にドーンと黒くて重くて暗い何か
強いプレッシャーを感じてるとき、感じた体験がまだ癒えていないのかゾンビのようにはい出てくる。
楽しかった時間の後に急に「わたし、何かいらんこと言わなかったかな?やらかしてなかったかな?」とか思ってしまうときとか。
どちらも特になにか出来事がなかったときにも、 なんかわからんけどどこかからやってくる不安感!
そしてそんなときほど、 余計に不安になるようなことや、 どうにかしようと情報を詰め込んだりしてしまうのよね。
ゆっくりしてたらあかんような気持ちになってくる。
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これを言ったら元も子もないですが、これらは 秋という季節がもたらすものというときもあります。 (もちろん個々の状況や環境が合わさってのことだけど、要因のひとつとしてという意味)
「わたしのせいじゃないな、秋だもんな。」
そう思ってみると、わたし=不安ではなくなり、 ただ季節のお出汁の中にいるだけだ、と すこし俯瞰して今を見れることがわたしにはあります。
そんなときは、「あたためる」「うるおす」が 秋のお出汁を味変するのにとてもいい感じです。
とくに体から手をかけてみるのがやりやすい。
・冷えてきたら一枚服を羽織ろう。
・あたたかいものを食べよう。(昨日は石焼ビビンバ食べた!)
・オイル塗ったろう。
・お風呂に入ろう。
・ちくわをおなかに抱えて寝よう。
そして不安になったり、 そわそわしてしまう自分をアカンと 思うのはやめよう。
なぜかこの世界にある、自然と湧き上がる感情なのだから、あってもいいのだ。
「自分を許す」とか「愛する」とかちゃんとしたことじゃなくて、 「
そういうときあるあるある~!」と思っとこ。
不安にならない人というのももちろんいて、 そういう人をみて「いいなぁ」とも思うし、
そういう人からは 「なんでそんなややこしこと考えるん?で 」 になることもあるけど、
みんなその現れが違うだけだから、 「わたしはこういう現れなんだな」と自分のために心と手をかけてみるのはどうだろうか?
とりあえず、いったん あたためよう。 うるおしてみよう。
そして、秋から冬にかけてのアーユルヴェーディックなヨガをしているから、よかったらご一緒しましょう。
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