からだとこころのつながり*からだの巻
ちくわの手です。
手だけ見ても、ものすごくリラックスしていて、どうやら寝ているようだと
わかりるような気がしませんか?
よく聞くことですが、体とこころはつながっています。
「つながっている」と聞いても、「わかる気はするけど、はてさてどういうことだろう」
と以前のわたしは思っていました。
ヨガのことを勉強していくと、さまざまな体のこと、こころのことのお話や、
こころの在り様や、考え方、智慧の話を聞く機会があって、
わたしはこういう話が大好きなので、ずっと聞いていられるのですが、
今回は、わたしが「体とこころがつながっている」ということを
人は5つの鞘(さや)から出来ているというパンチャコーシャ(五臓説)のはなしで紹介しようと思います。
難しくないことを聞かされるぞ!と警戒しないように話したいと思います。
わたしには、5つの鞘を心の中でイメージしやすかったのと、
一番内側にある純粋な自分というものを、何かあったときに信じることが、
心ぽっきり折れかけるときに、立っているための杖のようになっています。
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人は、5つの鞘(さや)、(層と言ったほうがわかりやすいかも)から成っている。とヨガの先人たちから伝えられた話です。
5というのがパンチャ、鞘をコーシャというので、パンチャコーシャといいます。
ざっくりですが、こんな5つの層になっているそうです。
体の層、
呼吸、プラーナと言われる生命エネルギーの層、
ここからより心の領域になっていって、
心や好き嫌いなど感情の層、
考え方や価値観の層、
純粋で無条件の愛に満ちた、言葉では言い表せない至福の層
一番層の深いところに、至福の層があるそうです。
何人にも分け隔てなく、確実にあるのです。ありがとうー!という気持ちになります。
その周りをわたしたちの潜在意識に書き込まれた価値観や、感情が覆っているので、
そりゃなかなか見えないな。。。という妙に納得したような気持ちにもなり、
でも、確かにそこにある!という希望に満ちた気持ちにもなります。
イメージとしては、たまねぎを思い浮かべてください。
以下、わかりやすいように鞘をたまねぎの皮といいます。
たまねぎを外側からむいていく(むいていくと言うのかな?)イメージです。
一番外側のたまねぎの皮が、体です。
骨格、筋肉、血液、わたしたちが体と思ってイメージする体です。
一番、「わたし」というのが知覚しやすいのは、体だと思います。
「わたしの体」というと、腕や足やおなかを触ると「わたしの体」というのが認識できると思います。
「わたしのこころ」というと、どうでしょうか?自分が何を考え、何を願い、、、というのって、
わたしにとっては一番「わからんわ!」と言いたくなる存在です。
こころは分かりづらいけど、
例えばお風呂にはいって、湯船にゆっくりつかると疲れがとれたり、
マッサージしてもらったら、体のこりがほぐれたり、
ヨガのポーズ練習をすると体がすっきりしたり、
体をほぐしたり、ゆるめたり、ちょっと筋肉を働かせたりした後って、
日々きゅうきゅうに余裕がなくなっていた心にゆとりがちょっとできたり、
頭の中だけでぐるぐる考えすぎていたことが、どうでもよくなったいたり、
「気持ちもすっきりしたわー!」ということありませんか?
一番、外側にある、「わたし」というのが分かりやすい体から
アクセスすることで、
そこから深い層にある、「こころ」にもアクセスしていこう☆
というのが、ヨガでいうアーサナの練習であったり、
ヨガニードラのボディスキャンになります。
続きの鞘の話は、次回に続く。。です。
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