わたしの色をだす
今日は和歌山のゆかりちゃんのサロンHonuaで一日リトリートの日でした。
写真は精進カフェふぉいさんのお弁当。酵素玄米がおいしい。
午前中のヨガは、体と心のリラックスの関係についておかしな話をしたり、ヨガをしたり。
お昼からは、ゆかりちゃんが数秘のことをおはなししてくれたり、みんなで座談会形式でわいわいと話していました。
数秘は詳しく書くと長くなるから、割愛するからググってくださいね。
誕生日や名前から算出した数字で、その人の個性、得意なこと、苦手なことなどをひも解いていくものです。
数秘や、占星術、アーユルヴェーダでいうドーシャといわれる体と心の傾向など、自分のことを知るツールというのを持っておくと、
それに自分の人生の舵を取られる必要はないけれど、何かのおりに、自分の傾向を読み解いたり、周りの人の言動や行動への理解ができるように感じています。
わたしとあなたは違って、得意なことがそれぞれあって、それを発揮していけばいいし、
言葉の行き違いがおきやすいから、「わかるだろう」という前提で話すのをやめてみようとか。
そして、この自分の傾向(数秘でいうとメインの数字や、占星術の星の配置、アーユルヴェーダでいうドーシャ)というものは、「わたしがそれをのびのびと発揮しているとき、本来のわたしの良いところが活かされ、社会のためになることができている」というもののようです。
ここから今日の本題です。
今日、数秘のはなしを聞いていて、わたし自身への発見があったのですが、
数秘でいうメインの数字(わたしの70%くらいを構成しているもの、個性)や、アーユルヴェーダでいう割と傾向が強いドーシャを、使わずに、発揮せずに生きていこうとしていた!ということに気づいたのです。
人には、この上のほうに書いているように、「使ったらいいよ~」と言っておきながら!笑
どうしてかなぁと考えてみたところ、
わたしの場合、数秘のメインの数字は、「自分のこと」をテーマにしていて、「自分を掘り下げること」を好きだったからかもしれません。
確かに好きなんだけど、それをやりすぎたら、人との関わりが難しくなるんじゃないか、嫌なやつになるんじゃないかという、過去のわたしの人生の中の記憶が蘇ってきて、「使ってはならぬ」と自分に指示を出していたような。
過去の記憶が、わたしのいろんなことに制限をかけていたんだなぁということに今日はあらためて気づき、
決してその個性を使うことは、感じ悪い人になることではなく、やはりわたしの得意なこと、本来の良いところを出していく、使っていくということなのだ、
と思ったのでした。
アーユルヴェーダのドーシャも同じだなと。
思いつくままにつらつら覚書のつもりで書いておきますね。
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